盛岡市: 大慈寺

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概要・歴史・観光・見所
大慈寺(盛岡市)概要: 福聚山大慈寺の創建は寛文13年(1673)、徳真道空が萬福寺(京都府宇治市にある黄檗宗大本山)で修行の後に盛岡に入り現在の盛岡鷹匠小路付近に草庵を設けたのが始まりと伝えられています(元禄14年:1701年に現在地に境内を移す)。盛岡藩の4代藩主南部行信の娘である光源院(麻久姫・幕子)は黄檗宗を篤く帰依し大慈寺を菩提寺として境内に葬られた事から南部家の庇護となり寺領63石が安堵され末寺10カ寺を擁する大寺院に発展しました。光源院は貞享元年(1684)に佐伯藩の5代藩主毛利駿河守高久に嫁ぐものの、高久の性格的な問題から貞享4年(1687)に離縁、その後、和泉陶器藩の4代藩主小出重興に嫁ぐものの元禄9年(1696)に重興が死去した事を受けて盛岡に帰参し出家、光源院を号するようになり、光源院の懇願により大慈寺4世万叡和尚が行った「川施餓鬼」が現在の「舟っこ流し」の起源になったと伝えられています。明治17年(1884)の火災により伽藍の大部分が焼失しましたが、盛岡市出身の原敬の菩提寺という事もあり山門など堂宇が再建されました。

大慈寺山門(楼門)は明治38年(1905)に建てられた竜宮門と呼ばれる形式の楼門で、切妻、桟瓦葺き、下層が大壁造り白漆喰仕上げ、土壁で端部を曲線で仕上げられ、中国など大陸でよく見られる形式です。大慈寺山門は明治時代に建てられた楼門建築の遺構として貴重な事から平成3年(1991)に盛岡市の保存建造物に指定され、境内を含む周囲一帯は環境保護地区となっていて寺町の雰囲気を今に伝えています。本堂(大雄宝殿)は、木造平屋建て、入母屋造、平入、桁行7間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、丸窓付き、黄檗宗の本堂建築を踏襲し、外壁周囲を裳階として重層風に見せています。又、大正10年(1921)に東京駅で暗殺された原敬(第19代内閣総理大臣)は大慈寺で埋葬され菩提寺となっています。盛岡三十三観音霊場第6番札所(札所本尊:十一面観音・御詠歌:たづねても 汲めや福聚の山清水 大慈大悲の深きみたらし)。山号:福聚山。宗派:黄檗宗。本尊:如意輪観世音菩薩。

大慈寺:写真

大慈寺
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