毛越寺(庭園)

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概要・歴史・観光・見所

毛越寺(庭園)概要: 医王山毛越寺は岩手県西磐井郡平泉町毛越寺(庭園)平泉字大沢に境内を構える天台宗の寺院中尊寺と並び平泉町を代表とする存在です。毛越寺の創建は鎌倉時代の正式の歴史書である「吾妻鏡」によると毛越寺は平安時代初期の嘉祥3年(850)に当時の高僧として知られた慈覚大師円仁が中尊寺と共に開山したとされ、主に奥州藤原氏二代藤原基衡、三代藤原秀衡が再興し伽藍の造営にあたりました。建物の数は記録によると「四十余宇、禅坊五百余宇」と云われ、中尊寺(四十余宇、禅坊三百余宇)よりも規模がかなり大きかったようです。

伝承によると慈覚大師が巡錫で当地を訪れた際、濃い霧に包まれどこにいるのさえ解らなくなると、白鹿に薬師如来の化身と思われる白髪の老人の元まで導かれました。老人は当地は霊地である事を告げ姿を消し、霧も急に晴れた為、円仁は当地に嘉祥寺(後の毛越寺)を開山したと伝えられています。

ただし、慈覚大師円仁が実際に東北地方を訪れたのは天長6年(829)から天長9年(832)にかけての事から弟子が境内を整備して円仁を勧請開山として迎えたのかも知れません。東日本のは山寺立石寺(山形県山形市)や恐山菩提寺(青森県むつ市)など数多くの寺院が円仁を開山者として信仰していますが、多くが円仁が天台宗の座主に就任し高齢の時の年代なので直接開山したのかは不詳となっています。

主な建物は金堂、開山堂、嘉祥寺、講堂、金堂円隆寺、鐘楼、経楼、常行堂、常行堂、法華堂などですが嘉禄2年(1226)と天正元年(1573)、慶長2年(1597)の3度の火災で焼失し、藤原三代が滅亡した事により次第に勢力が衰えていったようです。

江戸時代に入ると仙台藩主伊達家から庇護され、寛永13年(1636)に初代藩主伊達政宗が死去し霊廟(瑞鳳殿:宮城県仙台市青葉区霊屋下)が設けられ、墓守寺である瑞鳳寺が創建されると、毛越寺の本尊だった釈迦三尊像が遷され、天保17年(1732)には5代藩主伊達吉村が常行堂を再建しています。

常行堂は木造平屋建、宝形造、茅葺、桁行5間、梁間5間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、江戸時代中期の御堂建築の遺構として貴重な存在です。

毛越寺庭園は平安時代を代表する浄土式庭園と言われ、東西に長い「大泉池」があり南東に出島があります。出島の先端から数m池の中には飛島があり立石が設えられ、これらの風景は荒海を現していると言われています。又、遣水と呼ばれる池に水を取り込む水路があり、平安時代の遺構としては唯一のものです。遣水には玉石を底に敷き詰め、曲線の流れを作ったり、水切り石や水越など「作庭記」で見られる技法が使われています。

毛越寺は極めて貴重な存在で名称「毛越寺境内 附 鎮守社跡」として大正11年(1922)に国指定史跡、昭和27年(1952)に国指定特別史跡に指定されています。毛越寺庭園も極めて貴重な存在で昭和32年(1957)に国指定名勝、昭和34年(1959)に国指定特別名勝に指定されています。

さらに平成23年(2011)に名称「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されています。又、毛越寺の延年は昭和45年(1970)に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に、昭和52年(1977)に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

奥州三十三観音霊場特別霊場。山号:医王山。宗派:天台宗。本尊:薬師如来。

毛越寺 浄土庭園:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板


毛越寺 浄土庭園:ストリートビュー

毛越寺:境内・堂宇・庭園・写真

毛越寺(庭園)境内から見た大香炉越に見える本堂
[ 付近地図: 岩手県西磐井郡平泉町 ]・[ 平泉町:歴史・観光・見所 ]
毛越寺(庭園)に作庭された大泉が池越に見える築山
庭園
毛越寺(庭園)大泉が池全景
庭園
毛越寺(庭園)大泉が池に設けられている洲浜とその先に見える塔山
庭園
毛越寺(庭園)に流れ落ちる遺水
庭園
毛越寺本堂に隣接している庫裏
毛越寺:庫裏
毛越寺開山堂には開山者である慈覚大師円仁が祭られています
毛越寺:開山堂
毛越寺嘉祥寺は慈覚大師円仁が開いたとされます
嘉祥寺跡
毛越寺講堂では胎金両部大日如来が祭られていました
講堂跡
毛越寺金堂円隆寺は毛越寺の中心だった施設で薬師如来が祭られていました
金堂円隆寺跡
毛越寺と鐘楼・経楼の跡地には礎石が残されています
鐘楼・経楼跡
毛越寺常行堂では寺冠阿弥陀堂如来、奥殿には摩多羅神が祭られています
毛越寺:常行堂
毛越寺常行堂跡・法華堂跡では常行三昧、法華三昧を修法していました
常行・法華堂跡


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