黒石寺(奥州市水沢区)概要: 妙見山黒石寺は岩手県奥州市水沢区黒石町山内に境内を構えている天台宗の寺院です。黒石寺は案内板によると「黒石寺は、寺伝によれば天平元年(729)行基菩薩の開基で、東光山薬師寺と称したが、嘉祥2年(849)慈覚大師円仁が復興し、妙見山黒石寺と名を改めた天台宗の古刹である。本尊薬師如来像はカツラ材の一木造りで胎内に貞観4年(1047)銘の僧形坐像(伝慈覚大師像)、四天王立像とともに国の重要文化財に指定されている。盛時、伽藍48字を数えた黒石寺は、数度の火災によりその一切を失い、現在の薬師堂は明治17年(1884)に再建されたものである。旧正月7日夜から8日早暁にかけて行われる蘇民祭は古代の蘇民信仰の姿を今に伝える貴重な民族的遺産である。」とあります。
伝承によると、奈良時代の天平元年(729)に行基菩薩によって開かれた東光山薬師寺は延暦年間(782〜805年)に蝦夷との戦いの兵火により焼失、大同2年(807)に坂上田村麻呂が召喚した飛騨の工匠によって薬師堂が再建されるもその後、荒廃したそうです(薬師寺は近隣にある石手堰神社の別当寺院だったようです)。
平安時代初期の嘉祥2年(849)、慈覚大師円仁(天台宗三代座主)が巡錫で当地を訪れた際、大師山の岩窟で修行をしてると行基菩薩の化身が霊夢に出現し、薬師寺の再興と共に寺号を「黒石寺」、山号を近くに妙見祠がある事から「妙見山」にするように告げたと伝えられています。
平安時代末期になると奥州藤原氏によって帰依され寺領の寄進が行われ、中世は領主である葛西氏から庇護されています。江戸時代に入ると仙台藩主伊達家の祈願所となり度々参拝に訪れています。天明6年(1786)には江戸時代の紀行家として知られる菅江真澄も黒石寺を訪れており、特に蘇民祭の様子を著書「配志和乃若葉」に記しています。
黒石寺境内には明治16年(1883)に建てられた御供所兼鐘楼があり1階が本尊に供える供物を準備する御供所、2階には200文字の漢文で黒石寺の由緒が刻まれている梵鐘が納められています。黒石寺の前に流れている山内川の寺院付近だけは特別に瑠璃壺川と称し、蘇民祭の際、川を堰き止め、裸で川に浸かり身を清めます。
蘇民祭とは旧暦正月7日の夜から翌朝にかけて行う、災厄を払い五穀豊穣を願う行事で、全国的に見ても原型を留めているのはほとんど無いと言われ、「裸参り」、「柴燈木登」、「別当登」、「鬼子登」、「蘇民袋争奪戦」など様々な行事が繰り広げられます。
黒石寺薬師堂は明治17年(1884)に造営されたもので、木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、桁行8間、張間5間、正面1間向拝付き、正面には「薬師如来」の扁額が掲げられ、内部には本尊である薬師如来像が安置されています。
奥州三十三観音霊場第25番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:罪障の 黒石寺に 罪消へて 山懐に 鐘ぞ聞こゆる)。江刺三十三観音霊場第7番札所。北国八十八ヶ所霊場第84番札所。山号:妙見山。宗派:天台宗。本尊:薬師如来。
黒石寺の文化財
・ 木造薬師如来坐像-貞観4年、像高126p、桂材、一木造-国指定重要文化財
・ 木造僧形坐像-永承2年、像高約70p、桂材、一木造-国指定重要文化財
・ 木造四天王立像-平安、像高160〜170p、欅、桂材-国指定重要文化財
・ 木造日光菩薩・木造月光菩薩立像-平安、像高約100p-岩手県指定文化財
・ 木造十二神将像-鎌倉〜室町、像高約110p-岩手県指定文化財
・ 銅鐘-貞享3年、阿部重貞寄進、鋳筒屋吉兵衛作-奥州市指定文化財
・ 黒石寺蘇民祭(岩手県の蘇民祭)−国の選択無形民俗文化財
黒石寺:上空画像
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