白山神社(神楽殿)概要: 白山神社は中尊寺の鎮守社だった神社で、明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は中尊寺とは分離し村社に列しています。白山神社は案内板によると「仁明天皇の御代嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号された。配佛としては、橋爪五郎秀衡の持佛で運慶作の正観音と源義経の持佛で毘沙門天が配案されてありましたが、嘉永2年正月8日(1849)の火災で焼失した。現在ある能舞台は嘉永6年(1853)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものであります。(平成15年国の重要文化財指定)現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗両公が当社参拝の節観覧に供し依頼続行今日に至っている。明治9年秋には、明治天皇が御東巡の折りに当社に御臨幸あらせられ、古式及び能舞を天覧あらせられました。」とあります。
白山神社舞台及び楽屋は木造平屋建て、入母屋、茅葺、妻入、桁行14.9m、梁間5.9m、外壁は真壁造り板張り、正面3方が柱のみの吹き放し。橋掛は両下造、鉄板葺き、桁行9.8m、梁間5.0m。鏡の間は木造平屋建て、西側入母屋、東側寄棟、茅葺、平入、桁行3間、張間2間。白山神社神楽殿(舞台・楽屋・橋掛・鏡の間)は欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老松」など見所の多い建物で、江戸時代末期の本格的能舞台の遺構として大変貴重な事から平成15年(2003)に国指定重要文化財に指定されています。祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊。
|