柳之御所(平泉町)概要: 柳之御所跡は案内板によると「北上川と 猫間ケ淵跡とに挟まれたこの台地は「柳御所」という字名で呼ばれています。初代清衡が豊田館(現岩手県奥州市江刺区)から平泉に進出し居館を構えたところで、「吾妻鏡」に記された奥州藤原三代の居館「平泉館」の跡の説もあります。「柳御所」という名称は、近世以前にさかのぼる資料に欠け、「吾妻鏡」に秀衡の居館としてきされている「枷羅御所」との対比で、後世に名付けられたものと考えられます。やがて、三代秀衡が鎮守府将軍に、さらに陸奥守に任ぜられ、名実ともに陸奥の最高権力者として中央からも認められ、平泉は経済のみならず、この地方の実質的な政治の中心としても大きく成長しました。
その結果、これまで居館は政庁としての性格も帯びることにもなり、新たに秀衡の日常の居館「枷羅御所」が、この西南に建設されたものと推定されます。・・・(後略)」とあります。
柳之御所の近くには奥州藤原氏三代目当主藤原秀衡が創建したと伝わる無量光院(国指定特別史跡・世界遺産)の跡地があります。
柳之御所跡:上空画像
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