徳清(盛岡市)概要: 徳清は江戸時代初期の寛文年間(1650頃)に紫波郡徳田村から身を起こし、醸造業や米屋などを経営し盛岡指折りの豪商となった商家です。幕末前後から盛岡藩(藩庁:盛岡城)の勘定方に出入りするほどになり、明治維新後、廃城となった盛岡城の勘定奉行の建物を払い下げてもらいました。
広大な敷地には主屋の他に4つの蔵を持ち、その内の米蔵は盛岡城の一部を用いて造られたといいます。味噌蔵は事務所に改築するなど保存にも積極的で昭和52年(1977)に盛岡市の保存建造物に指定されています。この周辺は盛岡の交通の要所で様々な醸造業や穀物商などの町屋が軒を並べてきましたが「兵藤私邸」が解体されるなど当時の様子を伝える建物が年々少なくなり「徳清」の建物の保存活用が期待されます。
徳清倉庫:上空画像
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