陸前高田市(歴史)概要: 陸前高田市の歴史は古く、平安時代初期の文献ではすでに気仙郡として地名が出てきて、気仙郡司は金為雄が赴任したことが記録されています。陸前高田市には玉山金山がという日本有数の金山が控え、奈良時代から採掘され、奈良の大仏にも金が使われたとも言われています。藤原三代とも関係が深く平泉にある中尊寺金色堂にも多く使用されていました。中世は葛西氏が支配し、各郷には地元の豪族(中には旧地頭であった金氏の子孫もいた。)が知行し城を築きました。戦国末期、豊臣秀吉による「小田原の陣」へ葛西氏が参陣しなかった事で、奥州仕置によって改易されます。近世は伊達領となり、玉山金山も伊達家の所有となり、鉱山開発に力を入れ、「玉千軒」と呼ばれるまでになり、陸前高田市中心部は一関と今泉を結ぶ今泉街道と釜石と仙台を結ぶ気仙街道との交差する地域だった事で宿場町としても発展し、海産物などの多くの物資が集められました。現在でも町中心には市神様が祀られ、店蔵(町屋)など古い町並みも残り当時の繁栄を窺うことが出来ます。又、気仙大工と呼ばれる技術者集団があった事から、技術の高い建築が陸前高田市内外に多く存在しています。
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