盛岡市渋民(歴史)概要: 渋民は奥州街道の宿駅として伝馬が置かれていましたが、盛岡以北の街道は参勤交代で使用する大名も少なく、大きくは発展していなかったようです。幕末に盛岡藩士である漆戸茂樹が領内視察で盛岡以北について書かれた「北奥路程記」には良い酒屋があるが町並みは良くないとして、愛宕神社のスケッチなどが残されています。姫神山は岩手山と早池峰山と共に北奥羽の三霊山とされる信仰の山で、岩手山が男性的に対し姫神山はその容姿から女性的な山とされ、麓にある姫神嶽神社の祭神も姫大明神、須勢理姫命の女性の神様を祀っています。姫神山は奥州平泉時代には金山や馬の有力産地であり、神秘的な容姿だけでなく、生活とも密着した存在でした。又、渋民は石川啄木の里としても有名で、生誕の地である常光寺、幼少期を過ごした宝徳寺、啄木の母校であり、教鞭にも立った旧渋民尋常高等小学校、教師時代に宿していた旧斉藤家住宅などの史跡が残っています。
|