旧渋民尋常高等小学校概要: 旧渋民尋常高等小学校はよく取り出される華美な装飾のある洋風の学校建築とは異なり、一地域に根ざした教育施設としての素朴さや力強さを感じる明治初期建築で、時代の変化から純和風建築から脱却しつつあるようにも感じます。
案内板によると「旧渋民尋常高等小学校は、明治17年(1884)、村民の寄付により旧渋民村愛宕の愛宕神社脇に建設されました。建設当時の校舎は、明治17年5月に提出された新築願書によると、木造2階建てで、1階には職員入口、職員室、廊下、教室があり、2階は廊下をはさんで3教室が配置されていました。
大正2年(1913)、松内分教場として移築され、約50年間使用された後、松内地区公民館として使われ、昭和42年(1967)、老朽化により取り壊されることとなりましたが、石川啄木の母校であり、代用教員時代に教鞭をとったこともあるゆかりの校舎であることから、石川啄木記念館敷地内に移築保存されました。
現在の建物は、2度の移築や改修が行われましたが、柾屋根造り、連子格子、囲炉裏のある溜まり場など明治前期の面影が残されており、現存する学校校舎としては、県内で最も古い建物の一つです。 盛岡市教育委員会 」とあります。
旧渋民尋常高等小学校は貴重な事から平成7年(1995)に盛岡市指定文化財に指定されています。
石川啄木記念館:上空画像
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