旧斉藤家住宅(盛岡市玉山区渋民)概要: 旧斉藤家住宅は奥州街道沿いに建てられた茅葺屋根の町屋で、石川啄木が渋民尋常高等小学校で代用教員時代に宿屋としていました。
案内板によると「斉藤家は江戸時代末期、奥州道中渋民宿駅の南側に建てられた町屋でした。建物構造は、木造一部二階建ての妻入り直屋で、屋根は兜形に軒先を切り落とした寄せ棟となっています。建物規模は、間口三間半(約6.8m)、奥行き八間半(約18m)と細長く1階の片側に表から裏にぬける一間幅(約1.9m)の通り土間を設けています。
部屋の配置は、表側から床の間のついた座敷、常居、納戸、台所、一番奥には馬屋があり、表側の二階部分には十畳の板の間を設け、表側に張り出した縁は格子戸をはずして使いました。
斉藤家は、明治39年(1906)3月から焼く1年間、石川啄木が渋民尋常小学校代用教員時代に家族とともに間借りしていた建物であることから、昭和45年(1970)に石川啄木記念館敷地内に移築保存されました。小説「雲は天才である」・「葬列」などの作品はこの家で生まれました。 盛岡市教育委員会 」とあります。
旧斉藤家住宅は貴重な事から平成7年(1995)に盛岡市指定文化財に指定されています。
石川啄木記念館:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-盛岡市教育委員会
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