奥州街道(岩手県)概要: 二戸宿は中世、九戸城(国指定史跡)の城下町として発展して町で、戦国時代末期には南部家一族の内乱である九戸の乱により、豊臣勢の大軍が押し寄せ激闘が繰り広げられました。江戸時代に入ると奥州街道の宿場町として引き続き中心地として地位を維持しました。盛岡は盛岡藩の藩庁、藩主居館が設置された盛岡城(国指定史跡・東北三名城)の城下町で、鹿角地方に通じる鹿角街道や、秋田の角館に通じる秋田街道の分岐点でもあり交通の要衝でもありました。花巻は盛岡城の支城として認められた花巻城(2万石)の城下町として発展した町で秋田の横手(久保田城の支城である横手城の城下町)に通じる平和街道との分岐点でもありました。金ヶ崎は仙台藩の金ヶ崎要害が置かれた町で、事実上の小城下町として発展し現在でも当時の武家町の町割りを継承し重要伝統的建造物群保存地区(金ケ崎町城内諏訪小路)に選定されています。水沢も仙台藩の水沢要害の城下町で現在でも多くの武家屋敷が残されています。又、高野長英、斎藤實、後藤新平の水沢三偉人を輩出し人材育成の盛んな地域でした。前沢は前沢要害の城下町で街道沿いには明治43年(1910)に建てられた太田家住宅(太幸邸)があり岩手県指定文化財に指定されています。平泉は平安時代に奥州藤原氏の本拠となった奥州平泉の中心地で、現在でも中尊寺金堂(国宝、国指定特別史跡)や毛越寺庭園(国特別名勝、国指定特別史跡)、観自在王院跡(国指定名勝、国指定特別史跡)、無量光院跡(国指定特別史跡)、金鶏山(国指定史跡)、柳之御所跡(国指定史跡)、達谷窟毘沙門堂(国指定史跡)などが残り世界遺産に選定されています。一関は一関藩3万石の城下町として当地域の行政、軍事、経済の中心地として発展し一関街道や今泉街道の分岐点でもありました。
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