金ケ崎町:歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所

胆沢郡金ケ崎町(歴史)概要: 金ケ崎町の平安時代は蝦夷と中央政権の勢力が入り混じる地域の1つで、俘囚長であった安倍氏の軍事的拠点となった鳥海の柵が築かれました。

鳥海の柵は当時、難攻不落と呼ばれており「前九年合戦」では両軍の主力がぶつかり合う激戦地で、「陸奥話記」によると安倍頼時は鳥海の柵で流れ矢にあたり没したと記されています。

柵主は「吾妻鏡」によると、安倍頼良の三男である鳥海三郎宗任と記され、その跡地には50棟を越える竪穴建物跡や長さ145mに及ぶ掘跡、大量の土師器等が確認されています。

鳥海の柵は俘囚の大型居館とそれに伴う町割り等の遺構として貴重な事から国指定史跡に指定されています。

鎌倉時代に入ると幕府の有力御家人で千葉氏第8代当主千葉頼胤の二男である千葉胤広が当地に入部し百岡城を本拠地にした事から「百岡」姓を掲げました。

文治5年(1189)に発生した奥州合戦で葛西三郎清重が大功を挙げると奥州総奉行に抜擢され、伊沢郡(胆沢郡)、磐井郡、牡鹿郡等の所領を賜り、胆沢郡には家臣である千葉左近明広(平次郎盛春)を地頭として配しています。

明広は「柏山」姓を掲げ、百岡城を拡張整備し「大林城」に名称を改め、後裔が長く当地を支配しました。

柏山氏は江刺氏等と共にに葛西氏家中の中でも最大級の勢力となり、家臣団の中で大きな影響力がありました。

一方、永正4年(1507)11月26日に発布された「葛西左衛門尉宛行状」によると小山郷馬籠館主である馬籠長之助に対し百岡郷等五郷と水沢・金ヶ崎の内で170貫文が安堵されています。

天正18年(1590)に発生した小田原の役で、主家である葛西氏は豊臣方の参陣を怠った為、豊臣秀吉による奥州仕置きにより改易となり柏山氏も連座したようです。

当地は豊臣家に従った木村伊勢守吉清に与えられますが、不手際が続いた為、改易となった葛西氏、大崎氏の遺臣達が中心となり、葛西大崎一揆が発生しています。

当地では柏山氏14代当主柏山明宗の弟である折居明久が旧臣達を集めて挙兵、吉清の家臣松田源太郎左衛門が城主を務める水沢城に侵攻しています。

結果的に一揆勢は豊臣方の奥州仕置き軍により鎮圧され、当地は伊達領となっています。

江戸時代に入ると引き続き伊達家が藩主を務める仙台藩領に属し、南部藩と接する最北端に位置することから、北方警護と軍事的拠点とする為、要害屋敷(金ケ崎城)が築かれます。

慶長10年(1605)10月8日に発布された伊達政宗の黒印状には「水沢之町引候而金ケ崎江相立候」、「六さい諸商人以下を相立てるべし」と記され、この前後に町場が形成された事が窺えます。

仙台藩領は領地が広大だった事から領内の重要拠点に21箇所の要害を設け、金ケ崎町もその1つとなりました。

金ケ崎城は北上川と宿内川を天然の掘りに見立て、そこに流れ込む支流を内堀化した縄張りとなっています。金ケ崎城は平城ですがある意味天然の要害とも言え、古代では坂之上田村麻呂や白糸姫、源義家などの伝説が残っています。

要害屋敷(金ケ崎城)には伊達家家臣の大町氏が3000石で入り、城の周りに家臣団を配置、さらに外側の南北両端に足軽町を配し、町の出入りを固めるなどの城下町の町割りを行いました。

又、奥州街道の宿場町に指定された為、街道沿いに商人町を町割りし、旅人や商人等の便宜が図られています。

現在の金ケ崎町では当時の町割りだけでなく敷地割りもほぼ踏襲している珍しいケースで、要害屋敷(金ケ崎城)を中心に武家町全体に当たる面積約34.8ヘクタールが「重要伝統的建造物群保存地区(金ケ崎町城内諏訪小路)」に指定されています。

金ケ崎町には11棟の武家屋敷(旧大沼家住宅は金ケ崎町指定有形文化財)が存在しており、その内8棟は近世の建物で生垣と屋敷林による独特な町並みとなっています。

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金ケ崎町・町並み:写真

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