清水寺(花巻市)概要: 音羽山清水寺は岩手県花巻市太田第21地割に境内を構える天台寺門宗の寺院です。清水寺の創建は平安時代初期の大同2年(807)に坂上田村麻呂(征夷大将軍)が東夷東征で勝利し凱旋した際、十一面観音を安置したのが始まりといわれています。
その後、慈覚大師円仁が東国巡錫で清水寺を参拝した際、自ら観音菩薩像を彫刻し、胎内に田村麻呂縁の十一面観音像を納めたそうです。南部藩(藩庁:盛岡城)が領した和賀、稗貫、柴波の三郡からなる当国三十三観音霊場第一番札所で奥州三十三観音の一つとされています。
京都(音羽山清水寺:京都府京都市東山区、西国三十三所観音霊場第16番札所)、播磨(御嶽山清水寺:兵庫県加東市、西国三十三観音第25番札所)と共に日本三清水にも数えられ、周囲からの信仰も厚かったようです。
平安時代後期に発生した前九年の役(1051〜1062年)の際には源頼義・義家父子が戦勝祈願を行い見事と乱を平定すると康平5年(1062)に桁行7間、梁間7間の堂宇を造営し、天正19年(1591)の九戸の乱の際には、乱の平定に派遣された豊臣秀次の家臣が戦勝祈願したとも云われています。
往時は仙台や三陸からも参拝者があって祭日には境内に隙間が無いほど様々な露天商が建ち並び、門前町も栄えたとされます。近世に入り花巻城主だった北松斎の城下町政策により慶長年間(1596〜1615年)に多くの商人が花巻城下へ移され門前町は衰微しました。
現在の清水寺観音堂は江戸時代後期の文化10年(1813)に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造り、銅板葺き、桁行5間、梁間5間、正面3間向拝付、外壁は真壁造り板張り。山門(楼門)は昭和2年(1927)に建立した巨大な楼門で三間一戸、桁行3間、張間2間、入母屋、銅板葺き、正面軒唐破風。
棟梁は宮原吉太郎、彫刻は中村隆造、組物も凝った造りで見ごたえのある建物で、1層目には左右に仁王象が2層目には三十三体の観音像が安置されています。清水寺は寺宝も多く懸仏薬師如来坐像(1体)が昭和54年(1979)に花巻市指定文化財(彫刻)に指定されています。
信仰が篤かった事から多くの絵馬、算額が奉納されており、中でも清水寺嘉永3年(1850)算額と清水寺明治25年(1892)算額が平成28年(2016)に花巻市指定文化財(歴史資料)に指定されています。
当國三十三観音霊場(和賀・稗貫・紫波三十三補陀落)第1番札所。奥州古三十三観音霊場第1番札所。山号:音羽山。宗派:天台寺門宗。本尊:十一面観音。
清水寺:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
【 参考:サイト 】
・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(音羽山清水寺観世音由緒)
・ 現地案内板(宮沢賢治ゆかりの地)
・ 現地案内板(山門:仁王門棲上案内)
・ 現地案内板(子持杉:神木)
・ 現地案内板(清水寺と祭日)-太田ふるさと会
・ 現地案内板(千体薬師如来堂案内)
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