大泉寺(おかんの墓)概要: 亀通山霊井院大泉寺は岩手県盛岡市本町通1丁目に境内を構えている浄土宗の寺院で盛岡三十三観音第二十六番札所に選定されています。
大泉寺の創建は不詳ですが、南部家が三戸城の城主時代にはその城下町に境内を構え、南部27代信直の次女檜山御前の菩提寺になっていた事から南部家縁の寺院として庇護されていたと思われます。江戸時代初期に南部家が本城を三戸城から盛岡城に遷した際、大泉寺も現在地に境内を遷しています。
大泉寺本堂は案内板によると「この寺の本堂は、文政年間(1818〜1829)再建といわれる。宝形造の屋根は、宝珠と軒の反りの流れが調和し、この建物の特徴となっている。」とあります。
大泉寺本堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行8間、張間8間、正面1間切妻向拝付き(銅板葺き:むくり付)、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、江戸時代後期の寺院本堂建築の遺構として貴重な事から昭和54年(1979)に盛岡市の保存建造物に指定されています。
大泉寺境内には「おかんの墓」と称する墓碑が山門の傍らに安置され、案内板に「福岡城主九戸政実が南部信直に亡ばされ、家臣畠山重勝は自刃、その1人娘おかんは家来の三平と夫婦になって盛岡へ来た。夫は盛岡城築城の人夫となって働いていたが、工事中重症を負い再び哀れな運命に追い込まれた。
組頭である高瀬軍太はかねてから気品の高いおかんに思いをよせていたが、三平の災難をきっかけにますます露骨になり、夫の運命にも危機が追ったので、困ったおかんは夫を殺害するなら従うと組頭を欺き、その夜、変装して夫の身代になって貞死した。軍太はまもなく仏門に入り、遺族の生計を助けた。現在の墓碑は、いまなおカンカンと不思議な音がするといわれている。」とあります。
又、大泉寺には数々の寺宝があり木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代、桧材、寄木造、像高62p)、木造十一面観音菩薩立像(室町時代、桧材、寄木造、像高91p)、紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風(室町時代、縦111.7p、横110.0p)が盛岡市指定文化財となっています。盛岡三十三観音霊場第二十六番札所(札所本尊:十一面観音菩薩)。山号:亀通山。院号:霊井院。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
大泉寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(本堂)-盛岡市
・ 現地案内板(おかんの墓)-盛岡市観光課
・ 現地案内板(盛岡市指定文化財)-盛岡市教育委員会
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