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| 達谷窟毘沙門堂 |
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| [ 付近地図: 岩手県西磐井郡平泉町 ]・[ 平泉町フィールドワーク ] |
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達谷窟毘沙門堂概要: 達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂がアテルイなど蝦夷討伐に勝利した際、毘沙門天への戦勝祈願によるものと感じ、この地に建立したものと伝えられています。その後も、前九年や後三年合戦で源頼義、義家親子が戦勝祈願し寺領を寄進し、藤原三代は堂宇を再建しています。中世に入ると周辺を支配した葛西氏の崇敬社となり手厚く庇護され、近世では伊達藩が毘沙門堂を再建しています。建物は清水寺を模したと言われ舞台のような構成になっていて岸壁側の外壁は無く、壁には岩肌が直接見られます。現在の建物は昭和21年の火災によって焼失後再建されたものですが、当時の雰囲気は十分に感じ取る事は出来ます。
奉行坊杉概要: 案内板によると「達谷窟毘沙門堂の祭事を司る僧を別当奉行という。奉行の指図により各坊の僧がこの杉の元に参集したので奉行坊杉と呼ばれる。「安永風土記」にも大杉と記される。昭和21年、隣家から出火し、西風に煽られた炎は毘沙門堂と辨天堂に燃え移ったが、この杉が西側の枝葉を失いながら炎を防ぎ、不動堂、鐘楼等の諸堂が類焼を免れたのは、古来暫々雷が落ち神宿木である大杉に火之神不動尊が降りた為であると云われてた。」とあります。
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