平泉町フィールドワーク: 達谷窟毘沙門堂

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達谷窟毘沙門堂
達谷窟毘沙門堂
[ 付近地図: 岩手県西磐井郡平泉町 ]・[ 平泉町フィールドワーク ]・ [ 岩手県:寺院 ]
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達谷窟毘沙門堂概要: 達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂がアテルイなど蝦夷討伐に勝利した際、毘沙門天への戦勝祈願によるものと感じ、この地に建立したものと伝えられています。その後も、前九年や後三年合戦で源頼義、義家親子が戦勝祈願し寺領を寄進し、藤原三代は堂宇を再建しています。中世に入ると周辺を支配した葛西氏の崇敬社となり手厚く庇護され、近世では伊達藩が毘沙門堂を再建しています。建物は清水寺を模したと言われ舞台のような構成になっていて岸壁側の外壁は無く、壁には岩肌が直接見られます。現在の建物は昭和21年の火災によって焼失後再建されたものですが、当時の雰囲気は十分に感じ取る事は出来ます。

鳥居概要: 案内板によると「「一之鳥居ハ石之鳥居、二之鳥居ハ丹之鳥居、三之鳥居ハ杉之鳥居」と称され、古くから参道にあった。三之鳥居は明治初期に、二之鳥居は昭和30年に失われたが、平成10年に再建された。二之鳥居、三之鳥居ともに、他には見られない特殊な形式を今に伝えている。一之鳥居は「ひこじうらう、とくぢ、せいのじゃう」という達谷村の3人の石工により達谷石を用いて江戸時代に建立されたものである。」とあります。

岩面大沸概要: 案内板によると「毘沙門堂西方の約そ10丈(約33m)にも及ぶ大岸壁に刻まれた魔崖沸は前九年後三年の役で亡くなった敵見方の諸霊を供養する為に陸奥守源義家公が馬上より弓鞘を以って彫り付けたと伝えられている。この大沸は高さ55尺(16.5m)、顔の長さ12尺(約3.6m)肩巾33尺(約9.9m)全国で五指に入る大像で、「北限の磨崖沸」として名高い。元禄9年(1696年)の記録に「大日之尊體」(岩大日)その後岩大沸と記され、現在は岩面大沸と呼ばれている。猶、尊名は岩大日の記録から大日如来とする考えもあるが、拙寺では昔から阿弥陀仏の名号を唱えており、戦死者追善の伝説からも阿弥陀如来とするのが正しいと思われる。その証左として岩面大沸の下に立つ「文保の古碑」(1317年)には阿弥陀の種子である「キリク」が刻まれている。明治29年に胸から下が地震により崩落し、現在も摩滅が進んでおり早急な保護が叫ばれている。」とあります。

蝦蟆ケ池辨天堂概要: 案内板によると「巌毘沙門堂前庭の池を蝦蟆ケ池と云う。昭和60年の調査で蝦蟆ケ池旧護岸から平安末期のかわらけが大量に発掘された。この池の中島に祀られる八肘の辨才天は慈覚大師の作と伝えられ、昭和21年の大火にも焼失を免れ、「生けるが如し」と称される美しい御姿で名高い。巳年生まれの守本尊で、その使の蛇を拙寺では大切に保護している。昔から財宝を授ける福徳神として「辨天には銭上げて拝め」と云われ、特に商家の信仰が厚い。また知恵の神、技芸の神、そして悋気な天女の故、縁切りの願が叶うと伝えられ、仲良き男女は共に参らぬ習がある。」とあります。

鐘楼概要: 案内板によると「毘沙門堂、鹿島社と共に慶長20年(1615年)の建立と伝える。江戸時代には伊達藩が毘沙門堂と同時に屋根の葺き替えを行っていた事が記録が残る。かつては板葺で120寛(約450kg)の洪鐘を吊っていたが、昭和19年に戦時供出。昭和58年に新鋳した150貫(約563kg)の洪鐘を吊ると共に、屋根を銅板に葺き改めた。今でも五ツ(午前8時、辰刻)、九ツ(正午、午刻)、七ツ(午後4時、申刻)に昔ながらの打鐘で時を報せている。」とあります。

姫待不動堂概要: 案内板によると「悪路王等は京から攫って来た姫君を窟姫」に閉じ込め、「櫻野」で暫々花見を楽しんだ。逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧」と呼び、再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石を「鬘石」と云う。姫待不動尊は智証大師が達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを藤原基衡公が再建した。しかし年月を経て堂宇の腐朽が著しい為、寛政元年(1789年)に当地に移された。桂材の一木彫で全国でも希なる大師様不動の大像である。制作年代は平安後期で岩手県有形文化財に指定されている。当地では「火之神様」と呼ばれ、火伏不動尊として信仰される他、眼病を治す御不動尊膝前に祀られる獅子頭は向って右から室町時代、左が江戸時代の作で達谷村の権現舞に使われたものである。」とあります。

奉行坊杉概要: 案内板によると「達谷窟毘沙門堂の祭事を司る僧を別当奉行という。奉行の指図により各坊の僧がこの杉の元に参集したので奉行坊杉と呼ばれる。「安永風土記」にも大杉と記される。昭和21年、隣家から出火し、西風に煽られた炎は毘沙門堂と辨天堂に燃え移ったが、この杉が西側の枝葉を失いながら炎を防ぎ、不動堂、鐘楼等の諸堂が類焼を免れたのは、古来暫々雷が落ち神宿木である大杉に火之神不動尊が降りた為であると云われてた。」とあります。
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