聖壽禅寺(南部藩主墓所)概要: 大光山聖壽禅寺は岩手県盛岡市北山2丁目に境内を構える臨済宗妙心寺派の寺院です。聖壽禅寺は案内板によると「この山一帯は古くから旧桜山とも呼ばれ、南部家菩提所として歴代の藩主のお墓があり、高松風致地区にも指定されております。聖寿禅寺は、2代実光公が南部家初代三郎光行公菩提のために青森県三戸郡に建立し、慶長4年(1599)26代信直が三戸から盛岡に居城を定めた時現在地に移されました。寺領500石盛岡五山第一として、境内には36代藩主利敬が文化2年(1805)に祖先の精霊供養のため建立した五重塔の一部が残っています。・・・(後略) 盛岡市・盛岡観光コンペンション教会」 とあります。
聖壽禅寺の創建は鎌倉時代の建長6年(1254)に南部家2代当主南部実光が父親である南部光行(没年:嘉禎2年:1236年)の菩提を弔う為に開かれたのが始まりとされます。開山は特賜両朝国済三光国師とされますが、孤峰覚明の生年が文永8年(1271)、没年が康安元年/正平16年(1361)とされる為、最初は草庵で開創し、孤峰覚明により正式な寺院として確立したかも知れません。
その後、衰微しましたが、文禄2年(1593)南部家26代当主南部信直が石門宗硬和尚(瑞巌寺94世:宮城県松島町)を招いて中興開山しています。
当初は三戸郡小向村(現在の青森県南部町)に境内を構え「福壽山三光庵」と号していましたが、江戸時代に入り南部家が居城を三戸城(青森県三戸町)から盛岡城に遷るにあたり、城下である上田門前町に移され、「大光山聖壽萬年禅寺」に改めています。
聖壽禅寺は南部家の菩提寺として寺領500石が安堵され、瑞鳩峰山報恩寺、大宝山東禅寺、宝珠盛岡山永福寺、雍護山教浄寺と共に盛岡五山にも数えられ寺運が隆盛しました。
明治4年(1871)に発令された廃藩置県により盛岡藩が廃藩になると庇護者を失い堂宇が荒廃し、境内は桜山神社に利用たものの戦後に再興の機運が高まり昭和34年(1959)に本堂が造営されています。
境内にある千体地蔵堂は五重塔の一部で上部ノ4層が焼け落ち、現在は平屋建てとなっています。聖壽禅寺が所有するマリア観音像(厨子付)が昭和59年(1984)に盛岡市指定文化財に指定されています。
盛岡三十三観音霊場第17番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:まどかなる 光おふべき 雲となき 明宣の庵 世々に知らせむ)。山号:大光山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
聖壽禅寺:上空画像
|