北上市:歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所

北上市(歴史)概要: 北上市は縄文時代早期から人々が住み出したと見られ、樺山遺跡では墳墓と思われる配石遺構(ストーンサークル)が30数カ所をはじめ、数多くの竪穴住居跡や土製品、石製品が発見され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

八天遺跡は縄文時代中期末から後期にかけての大規模な集落跡で、直径13.5mの大型円形の住居跡をはじめ、多数の住居跡や土壙跡が存在しています。

土器廃棄場と推定される場所からは大量な土器が出土し、土壙跡からは意匠的に優れた土製仮面の部品と思われる鼻・口・耳等も発見され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

垂井の里長沼古墳群は古墳時代末期の13基の円墳で構成される古墳群で、概ね直径7〜11.5m、主体部構造は河原石積み竪穴風横穴式石室、副葬品として金張ガラス玉・帯金具が発見されています。

垂井の里長沼古墳群は日本の地域遺産の「きたかみ景観資産」に選定され、江釣子古墳群長沼支群として貴重な事から国指定史跡に指定されています。

江釣子古墳群は古墳時代後期後半に築造された古墳群で、直径10m前後、高さ1m前後、幅約1mの周濠の円墳が約120基程で構成され、蝦夷塚とも呼ばれています。

江釣子古墳群は猫谷地古墳群、五条丸古墳群、八幡古墳群、長沼古墳群の4支群で構成され、蝦夷の埋葬形態が判る遺構として貴重な事から国指定史跡に指定されています。

平安時代に入ると仏教の布教が始まり、「日本文徳天皇実録」の天安元年(857)条に記載される定額寺である「陸奥国極楽寺」が開創され、伝承によると僧坊700坊、堂塔36棟から成る大寺院だった伝えられています。

国見山廃寺跡からは塔跡1基、七間堂1基、三間堂3基が確認され、平安時代中期の東北北部で最大規模の寺院で、大規模な山岳寺院としては日本最北の事例である事から陸奥国極楽寺に比定され、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

平安時代後期には大竹廃寺が北上市更木町の標高180mの山頂付近に開創し、その遺構から巨大な山岳寺院だったと推定され、堂宇跡の他、鉄製の釣り鐘が出土し、貴重な事から「きたかみ景観資産」に選定、岩手県指定史跡に指定され、大竹廃寺跡出土鉄鐘は北上市指定文化財に指定されています。

一方、俘囚長だった安倍氏の勢力下でもあり11世紀には安倍頼時の五男である黒沢尻五郎正任が当地に配され、黒沢尻柵が築かれています。

永承6年(1051)に発生した前九年合戦の際には黒沢尻柵も戦場となり、康平5年(1062)には源頼義とそれを支援した出羽国の豪族である清原氏に攻められ落城しています。

承久年間(1219〜1222年)の刈田三郎左衛門尉が陸奥国刈田郡から和賀郡の半分地頭として当地に下向し、地名に因み「和賀」姓を掲げ、長く当地を支配しました。

和賀氏は黒岩の岩崎塞を本拠地にしたと考えられ、その後、更木舘、さらに二子城に拠点を遷しています。

応永8年(1401)に和賀下総入道時義が関東管領から和賀郡の支配権と和賀一族の惣領権が認められ、和賀体制が確立しています。

天正18年(1590)に発生した小田原の陣で、和賀氏は豊臣秀吉方の参陣を怠った為、奥州仕置きにより改易となり、当地は豊臣家の蔵入地となっています。

同年、それを不服とした和賀義忠を中心として和賀・稗貫一揆が勃発、一揆が鎮圧されると和賀郡、稗貫郡は南部家の支配下に入っています。

慶長5年(1600)、和賀忠親が蜂起し旧領奪還を目指しましたが、阻まれた為、岩崎城に立て籠もったものの慶長6年(1601)に落城しています。

江戸時代に入ると、北上市の市域は盛岡藩と仙台藩に分かれた為、寛永19年(1642)には藩境に領境塚が築かれています。

南部領伊達領境塚は現在も当時の姿を良く留めており、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

奥州街道が改めて開削されると、当地には鬼柳宿と黒沢尻宿の2つの宿場町が整備され、黒沢尻宿には盛岡藩、八戸藩の藩主である南部家が宿泊や休息で利用する本陣が置かれ、黒沢尻宿本町・新町と鬼柳宿には旅人や荷物を隣の宿場町まで繋ぐ伝馬が設けられています。

又、黒沢尻河岸を境に北上川の川幅が狭くなり、川底が浅くなった事から、大型船から小型船への乗り換えが必要となった為、北上川舟運の中継港として発展し、盛岡藩の出先機関や御蔵、造船所等も設けられた事から大いに賑わったとされます。



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