日高神社(奥州市水沢区)概要: 日高神社は岩手県奥州市水沢日高小路に鎮座している神社です。日高神社の創建は弘仁元年(810)嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされます。
社号から、以前は蝦夷が支配していた日高見国の神が主祭神として祭られ、蝦夷にとっては信仰の中心でしたが、坂上田村麻呂の東夷東征により当地が朝廷の支配下に入ると、天皇縁の神々に差し替えられたとも考えられています。
平安時代後期に行われた前九年合戦では源頼義が戦勝祈願し、境内には源義家(頼義の子供)が安倍貞任(俘囚頭領)を討った太刀を洗ったという「太刀洗川の碑」や義家が酒宴で刺した箸が根付たとされる姥杉(樹高24m、幹囲5.8m、推定樹齢は約550年以上、奥州市指定天然記念物)があります。
その後も平泉を本拠として奥州藤原氏や、江戸時代に仙台藩主となった伊達氏などの支配者に崇敬され、初代仙台藩主伊達政宗も参拝しました。
特に仙台藩の水沢領主(要害)となった留守氏も代々の崇敬社として篤く庇護し、境内には留守氏の祖霊を祭る瑞山神社(祖霊社)や留守家墓所(奥州市指定遺跡)が建立されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治4年(1871)に郷社に列しています。
日高神社の本殿は寛永9年(1632)に領主留守宗利が造営したと伝えられるもので三間社流造、銅板葺(元茅葺)、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として大変貴重な事から平成2年(1990)に国指定重要文化財に指定されています。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。日高神社神門は切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門。
毎年4月28日・29日に開催される「日高火防祭」で行われる日高囃は古式を伝える行事として貴重な事から昭和38年(1963)に岩手県指定無形民俗文化財に指定されています。
日高神社の社号の名称には諸説あり、前九年合戦の折、頼義が祈祷した所、雨が急に止み日が差し込んだ時に敵の将であった安倍貞任を討ったという謂れや、この場所は元々日高見国と呼ばれていた事などがあります。旧郷社。祭神:天之御中主神。
日高神社:上空画像
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