武蔵坊弁慶大墓碑(平泉町)概要: 武蔵坊弁慶大墓碑は案内板によると「文治5年(1189)義経の居城高館焼打されるや、弁慶は最後まで主君を守り遂に衣川にて往生す。遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ石碑が建てられた 「色かえぬ 仏のあるじや 武蔵坊 」 」とあります。
武蔵坊弁慶は源義経の忠臣と言われていますが、実在の人物かどうかの正確な資料はありません。「義経記(南北朝から室町時代に掛かれたものと考えられ、死後200程度過ぎ、史実とも異なる点も多い為、資料よりは物語的な要素が強いとされます。)」などに描かれている弁慶像は鬼の子供とされるし、全国各地に残る伝説や逸話には到底人間業とは思われないものが多いと言えます。
武蔵坊弁慶大墓碑:上空画像
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