矢巾町: 徳丹城

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概要・歴史・観光・見所
徳丹城(矢巾町)概要: 徳丹城は岩手県紫波郡矢巾町徳田に位置し、案内板によると「徳丹城は、西暦812年(弘仁3年)の3月頃、時の征夷大将軍・文室錦麻呂によって造られた律令制最後の城柵である。雫石川の水害で被害を受けた志波城(盛岡市太田)を解体し、遷し建てられたもので、造営工事には2000人もの鎮兵が動員された。遺跡の形状は概ね正方形を示し、その大きさは一辺約350mある。北辺を除く東・西・南の三辺は丸太が並び立つ柵列であったが、北辺のみは築地と呼ばれる土塀であった。・・・(後略) 矢巾町教育委員会 」とあります。

徳丹城は平安時代初期の弘仁2年(811)に当地から約10キロ程北方に位置していた志波城が雫石川の氾濫により大破した事を受け、翌年の弘仁3年(812)3月頃現在地に築造移転されました。大同5年(810)に大蔵卿兼陸奥出羽按察使として志波城に赴任した文室綿麻呂は弘仁3年(812)4月に征夷大将軍に就任、徳丹城を拠点として度々蝦夷と交戦しています。当初は苦戦を強いられたようで、朝廷に対し兵力の増援を要請していましたが同年10月には大勝し多くの蝦夷を殺害、捕縛、降伏させています。12月には凡そ蝦夷の掃討が完了、徴兵していた農民を解放し4年間の課税免除を行っています。弘仁6年(815)には徳丹城を守備していた鎮兵500人が廃止された事から、この頃を境にして重要性が低下し9世紀半ば頃に廃城になったと思われます。

徳丹城は約350m四方の規模で、志波城が928m四方であった事に比べると大幅に規模が縮小した事が判ります。八脚門が中央に、17棟の櫓が約70m間隔で外郭線上に建てられ、敷地の中央付近には東西76.332m、南北76.762m規模の政庁が配され板塀で区画されていました。政庁には四方に濡れ縁を回す正殿を中心に前面の東西には脇殿、四脚門の南門が配されていますが、志波城は約150mの政庁規模だった事からやはり縮小されていたと思われます。徳丹城跡は歴史的に大変貴重な事から385uが昭和44年(1969)に国指定史跡に指定されています。

徳丹城:写真

徳丹城
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