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| 成島熊野神社 |
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| [ 付近地図: 岩手県花巻市東和町 ]・[ 花巻市東和町:歴史・観光・見所 ] |
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| 成島熊野神社概要: 成島熊野神社は案内板によると「三熊野神社の本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命、事解男之命、速玉男之命を祀っています。言い伝えによると、延暦年中(782〜806)征夷大将軍坂上田村麻呂がエミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を尊び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。康平5年(1062)に源義家が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。中世には和賀領主より社領70石をいただいています。県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年に県の有形文化財に指定されています。」とあります。同じ町内にある鐙八幡神社と由緒が類似しているが興味深いところです。又、熊野神社には十二番角力式(泣き相撲)と言われる奇祭が伝わっていて花輪市指定無形民俗文化財となっています。案内板によると「ここで行われる泣き相撲は、古くから三熊野神社の特殊神事で、正式には9月の例祭に行う十二番角力の式を言います。言い伝えによると、延暦年中(782〜806)坂上田村麻呂がこの地で部下に相撲を取らせたのが始まりと伝えられています。その後、猿ケ石川を境とし、た南・北成島の青年(22歳)による相撲は、勝利した方に豊作をもたらすという占いが流血の争いとなったことから宝永3年(1706)神社氏子の長男で、数え2歳の幼児による泣き相撲にかわり、南北にわかれ6組で取り組みを行い、先に泣き出した方が負けと決められています。現在は幼児成長と豊作を祈る行事として続けられています。江戸時代から続く民族行事であることから平成5年に町の無形民俗文化財に指定されています。」とあります。
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