紫波町: 志和稲荷神社

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概要・歴史・観光・見所
志和稲荷神社(紫波町)概要: 志和稲荷神社は岩手県紫波郡紫波町升沢字前平に鎮座している神社で、御由緒によると「天喜5年(1057)源頼義・義家が安倍氏一族の征討のため下向され、志和陣ヶ岡に滞陣中、祈願のために勧請され、その後藤原秀衡菅領のとき藤原氏の一族樋爪俊衡、同季衡が再建され、その後正平年間(1346〜1470)足利氏の一族斯波家長が志和城主のとき社殿新築、その後は斯波氏累代の崇敬厚く、七代栓直の代に再建せられた。ついで、天正16年(1588)斯波氏に代わって南部氏の領となり、南部氏代々の祈願所として歳々に直拝され、社領奉納普請を重ねられた外、盛岡から五里の間「志和稲荷街道」の参道をも開かれた。・・・(後略)」とあります。

志和稲荷神社の創建は平安時代後期の天喜5年(1057)、奥州で発生した「前九年合戦」で鎮守府将軍に就任した源頼義・義家父子が陣ヶ岡まで進軍してきた際、伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区深草藪之内町)の分霊を勧請し戦勝祈願をしたのが始まりとされます。康平5年(1062)に前九年合戦の首謀者である安倍貞任が掃討されると神意に感謝し奥州稲荷社総司として信仰されるようになりました。後三年合戦後に奥州6郡の領主となり平泉を本拠とした奥州藤原氏の一族である樋爪俊衡や樋爪季衡、文治5年(1189)に発生した奥州合戦の際には初代鎌倉幕府将軍である源頼朝により社殿が再建されています。中世に入ると斯波郡の領主となった斯波氏の崇敬社となり天正16年(1588)には斯波詮直によって社殿が造営されています。天正16年(1588)に南部家の侵攻により斯波氏が没落すると、新たな領主となった南部家が志和稲荷神社を領内中央部の守護神として、呑香稲荷神社(北方守護:岩手県二戸市福岡五日町)、鼬幣稲荷神社(南方守護:岩手県花巻市石神町)と共に篤く庇護しました。社領も度々加増され江戸時代後期には70石に達したとされ、盛岡藩の藩庁である盛岡城から志和稲荷神社までは街道(志和稲荷街道)が整備され、例祭の際には藩主である南部家が参拝に訪れ、叶わなかった場合には代参が行われました。古くから神仏習合し、別当寺院である成就院が祭祀を司り十一面観音を本地仏として祭っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、村社に、大正7年(1918)に県社に列しました。社宝が多く志和稲荷内宮殿(建造物)、志和稲荷木板本地仏懸仏(絵画)、建暦二年写経・般若波羅密多経(書跡)、南部利直黒印状(古文書:慶長4年・慶長17年・慶長19年)、天正十六年棟札(歴史資料)、志和稲荷の大スギ群(天然記念物:植物)が紫波町指定文化財に指定されています。祭神:宇迦之御魂大神、猿田彦大神、大宮能売大神。

志和稲荷神社:写真

志和稲荷神社
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