| 徳丹城概要: 案内板によると「徳丹城は、西暦812年(弘仁3年)の3月頃、時の征夷大将軍・文室錦麻呂によって造られた律令制最後の城柵である。雫石川の水害で被害を受けた志波城(盛岡市太田)を解体し、遷し建てられたもので、造営工事には2000人もの鎮兵が動員された。遺跡の形状は概ね正方形を示し、その大きさは一辺約350mある。北辺を除く東・西・南の三辺は丸太が並び立つ柵列であったが、北辺のみは築地と呼ばれる土塀であった。・・・(後略) 矢巾町教育委員会 」とあります。徳丹城は八脚門が中央に、17棟の櫓が約70m間隔で外郭線上に建てられましたがその後、9世紀の中頃から急速に機能が低下していきます。徳丹城跡は国指定史跡となっています。
|
|