岩手県の温泉街(花巻・台・繋(つなぎ)・鶯宿)

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岩手県の温泉街

花巻温泉

花巻温泉:温泉街・写真
[ 花巻温泉:温泉街 ]
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花巻温泉岩手県花巻市)は明治時代に大型開発により整備された温泉地で、その名残か旅館施設も大規模で鄙びた温泉街の雰囲気は余り感じられません。宮沢賢治縁の釜淵の滝(高さ8.5m、幅30m)が付近にあり、そこに至る道が散策路として整備され、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑(山のあたままろき緑を重ねたるなかに音しぬ台川の水 寛・深山なるかじかに通ふ声もして岩にひろがる釜ふちの滝 晶子)や下村海南歌碑(山の秋の水はさやけしとちの實の 水底ふかく沈めるが見ゆ)、巌谷小波歌碑(大釜や滝が沸かせる水煙)などが建立されています。

台温泉

台温泉:温泉街・写真
[ 台温泉:温泉街 ]
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台温泉(岩手県花巻市)の開湯は古く、坂上田村麻呂が当地に来た際には既に存在していたとされ、台温泉の名称も、坂上田村麻呂が入湯して戦が元となった刀傷が平癒した事から「体癒(たいゆ)」と語った事に由来すると伝えられています。江戸時代に入ると盛岡藩の藩都である盛岡城下にまで名湯の名声が聞き及ぶようになり、藩主南部家も度々温泉街に御仮室を設けて湯治を楽しんだそうです。現在でも細い道の両側に古民家風の木造旅館が軒を連ね温泉街らしい町並みが残されています。派手さは殆ど感じられませんが、感じの良い温泉街でした。

繋(つなぎ)温泉

繋温泉(つなぎ温泉):温泉街・写真
[ 繋温泉(つなぎ温泉):温泉街 ]
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繋温泉岩手県盛岡市)は平安時代後期に現在の岩手県を揺るがした前九年合戦の兵乱を鎮める為、朝廷から派遣された源義家が当地に着陣した際に発見されたのが始まりとされる温泉地です。繋温泉には、義家が着陣したと伝わる湯ノ館山や愛馬を繋いだとさっる馬繋ぎ石、兵糧が尽き周辺の動植物を根こそぎ食した義家を戒める為に呪いの石となった猫石などの史跡が点在しています。温泉旅館や足湯などは整備されていますが、温泉街らしい町並みは構成されなかったようです。

鶯宿温泉

鶯宿温泉:温泉街・写真
[ 鶯宿温泉:温泉街 ]
鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真 鶯宿温泉:温泉街・写真
鶯宿温泉(岩手県雫石町)は盛岡藩の藩主南部家一族が度々利用した温泉です。温泉街が鶯宿川沿いにある為、概ね片側だけの町並みとなっています。木造の旅館と大型旅館が並存し往時は盛岡城下の奥座敷的な存在で大変賑わったそうです。温泉街の手前には大型の宿泊施設やゴルフ場などがありリゾート地として開発が行われているようです。
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