金ケ崎町: 金ケ崎城(要害)

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金ケ崎城(要害)
金ヶ崎城
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金ヶ崎城 金ヶ崎城 金ヶ崎城 金ヶ崎城
金ケ崎城(要害)概要: 金ケ崎城は古代に坂上田村麻呂が築いた館跡という伝説が残り、当初から要害堅固の城として重要視されていた地域だったと思われます。前九年合戦の際には源頼義が陣を張ったとされ、安倍頼時の妻である白糸姫が住んでいた場所という伝説も残っています。白糸姫には幾つかの伝説があり、1つは安倍貞任に捕まった源義家を助けてやったことで、安倍氏敗退の原因を作った事で義家から金ヶ崎城(白糸城)を与えられたというもので、もう1つは、鳥海の柵に捕まった義家と恋仲となりを安倍氏に伝わる秘仏の巻物と一緒に逃がした事がばれ、生き埋めとなったというものです。中世の戦国時代には南部氏や江刺氏、和賀氏などが金ケ崎城を巡り攻防を繰り返しおり、この地が戦略的に重要視されていたことがわかります。江戸時代に入ると伊達領内の最北端にあたり、領内21ある要害の1つとして、伊達一族である大町氏が3000石で入ります。要害(金ケ崎城)は本丸を中心に二の丸、観音館、東館、蔵館、大庭と郭を配し、それぞれを北上川と宿内川に流れ落ちる支流をたくみに内堀化しています。現在でも金掘沢は原型を留めており当時を伝えていますが、政庁が置かれた二の丸は宅地と農地になり、本丸や観音館などは河川の浸食や道路整備など原型を留めていません。町割りは要害を中心に家臣団が住み、奥州街道沿いには商人町、南北の際には足軽屋敷を配して城下町の防衛にあったています。これらの町並みは、江戸時代の地割や敷地割りなどの原型を現在でも色濃くのこしており、「金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
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