豊田館(奥州市江刺区)概要: 豊田館は後に平泉を本拠とする奥州藤原氏3代の祖となった藤原清衡と父親である経清の居館でした。僅かに高台になっていますが特に戦略上豊かな要害というわけではなく、文字通り館という印象を受けます。当時は北上川が館付近を流れていた事から掘りとして見立てていたのかも知れません現在は館の遺構は無く、江戸時代の建立されたという「豊田城跡碑」が建っています。
その石碑には「豊田城跡碑 この地也、東西五十七歩、南北三十九歩、昔、亘理権太夫経清の城であった。経清、平泉の役で戦死し、其の子権太郎清衡、勤王の勲功があったので、奥の六郡の領主としてここにいた。其の当時、北上川は豊田城のあたりを流れていて、浮梁(舟橋)という地名が今ものこっている。東北の方角に高水寺の跡があり、東南に鎮岡神社と白旗の池があって、これらのことは「封内風土記」に詳しく書いてある。年を経るにしたがい土地の人でさえ忘れられるので、この碑を建て後の世まで伝えるものである。」と刻まれています。「豊田城跡碑」は貴重な事から昭和56年(1981)に奥州市指定史跡に指定されています。
豊田館:上空画像
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