人首川(奥州市江刺区)概要: 人首川の名称の由来は古く、平安時代初期に行われた坂上田村麻呂(鎮守府将軍、征夷大将軍)の東夷東征の際の伝承からと云われています。坂上田村麻呂は現在平泉町にある達谷窟に立てこもる「悪路王(アテルイ)」を滅ぼします。
しかし、子供(甥という説もある)の「人首丸」は難を逃れ、現在の米里にある大森山付近まで落ち延び再び抵抗を始め、4年間に渡って抗争します。その後、田村麻呂の一族である田原阿波守兼光によって捉えられ斬首され、遺体は大森山山中に埋められたそうです。
現在でも「人首丸」の墓と称される墳墓があり、手厚く供養されている事や、集落名も改名する前は人首村と称していた事などから、「悪路王(アテルイ)」や「人首丸」は地域からは親しまれていた存在だった事が伺え知る事が出来ます。
人首川:上空画像
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