五位塚(奥州市江刺区)概要: 五位塚は豊田館跡からさらに山側を進んだ所にあり、付近山麓には大小様々の塚があり、「安永風土記」には合計63基の墳墓があったとされます(安永風土記:仙台藩が安永年間:1772〜1781年に編纂した領内の地誌。宮城県指定有形文化財)。特に五位塚は藤原氏3代の祖となった藤原清衡の父親である経清の墳墓と云われ、その名称も経清が現在の宮城県亘理町周辺を支配していた時、国府の五位という位にあった役人だった事が由来しているとされます。その後、経清は豊田館に居を構え奥州の豪族である安倍氏の娘を迎え入れ、懇意を結んだ為、「前九年の合戦」においては安倍氏側に付き、厨川の柵で破れる事となります。現在は案内板や駐車場などが整備され塚の上には新しい五輪塔が建立されています。
五位塚:上空画像
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